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2021年7月19日 更新

 
名称
比企城館跡群 菅谷館跡 松山城跡 杉山城跡 小倉城跡
種別 国指定記念物 史跡
指定面積
419,440,81㎡ (小倉城跡 97,108㎡)
指定年月日 平成20年3月28日

【歴史】
 
 小倉城跡にかかわる同時代の確実な文書は発見されていないが、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』では、戦国時代の関東に覇を唱えた小田原北条氏の重臣遠山氏を城主として伝えています。
 
 また、『武蔵志』では遠山氏、或いは上田氏とも伝えています。
 
 小倉城は、攻守一体で様々な工夫が凝らされた削平地をつらねた戦国時代の山城で、通称城山と呼ばれる山の山頂から中腹にかかえて所在している。

【立地】
 
 小倉城は、外秩父の山地帯と関東平野の境界にあり、大きく蛇行を繰り返す槻川と山地の自然地形を巧みに取り込んだ天然の要害にあります。
 
 城の位置取りは、槻川―都幾川―古荒川水系を基幹に陸路は鎌倉街道上道と山辺の道(八王子城―鉢形城を結び上州へ抜けるルート)の中間で双方へアクセス可能な位置にあり中世の水陸交通を強く意識したものとなっています。

【縄張り】
 
 本丸に相当する郭1と二の丸に相当する郭2を並列して配置し(並郭式)、郭1南東と郭2南西を堀切り、郭3、郭4を設けています。郭5は独立して井戸沢と呼ばれる谷に面することから「水の手郭」と判断されます。
 
 郭1は土塁の規模、虎口の構造、全ての導線がこの郭に収斂することから他の郭とは序列的に明らかに優先しており本郭(本丸)として位置づけられます。
 
 また、山裾から見ると南からは郭4―郭2―郭1、東からは郭3―郭1、北からは郭1北腰郭―郭1と階段を登るように進まなければ中心である郭1へは入れない構造(梯郭式)となっています。
 随所に折れ曲がった導線と虎口を設置し、鍵の手状の横堀と縦堀が組み合わされた大堀切、櫓台、二重堀切、連続縦堀など多彩な技法により普請されています。

石積の画像

▲雛壇状にセットバックした石積


【石積】

 この史跡の最大の特徴が、全国的にも珍しい石積み遺構です。平成11年から18年まで実施された調査で、まず郭3をコの字型にかこむ最大高約5m、総延長120mあまりの大規模な石積普請が発見されました。また、現在は埋め戻されていますが、郭1の東虎口から南虎口を結ぶ土塁内側には三段の雛壇状に構築した石積みが確認されました。その他に、郭1の東腰郭に高さ3.5mの石積みが普請されています。

【360℃ビュー】
 
小倉城跡遺跡、大築城跡遺跡の数値地形図データを公開します。
 
 
※利用には専用のソフトウェアが必要です。各自でご用意ください。
※ファイルは圧縮されています。解凍してご利用ください。

地形図データの画像1

▲イメージ図

地形図データの画像2
地形図データの画像3
地形図データの画像4
地形図データの画像5

小倉城跡整備事業

昭和10年度 県指定(昭和11年3月31日)
平成19年度 国指定(平成20年3月28日)
平成21年度 小倉城跡保存管理計画書策定(平成22年3月)
平成22年度 仮設トイレ設置
平成23年度 臨時駐車場整備、安全柵設置(史跡内)
平成24年度
郭1 ベイマツ伐採チップ化
小倉城跡調査指導委員会発足
小倉城跡周辺整備検討委員会発足
平成25年度 小倉城跡周辺整備方針策定
平成26年度 丸太階段設置(史跡内)、総合案内板設置
平成27年度 小倉城跡公有地化事業(1年目) ※9,627㎡
平成28年度 小倉城跡公有地化事業(2年目) ※15,239㎡
平成29年度 小倉城跡公有地化事業(3年目) ※14,754㎡
平成30年度 大堀切 立木伐採チップ化
令和元年度 バイオトイレ設置、郭2 立木伐採
令和2年度 郭2 伐木チップ化
令和3年度 郭2 木柵設置、のぼり旗設置、道路案内標識設置
 

ベイマツ伐採の風景画像

▲ベイマツ伐採

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